「日本人の心のふるさと」とも称される伊勢の神宮。都から伊勢の入口に湧く榊原温泉は、古くより伊勢参拝に際し、身を清める“湯ごり”の地としての役割も担ってきました。
このことをもとに令和4年(2022年)から湯元榊原舘では、“美肌の湯”として親しまれている温泉入浴とセットで「みえを知る旅」を企画し、三重の歴史・文化等について研究されている方々を講師に迎え、学ぶ場を開催してきています。これまで8シリーズ(1シリーズは6回)を開催しています。
大塩平八郎は、天保8年の「大塩の乱」の首謀者として知られていますが、主宰する私塾洗心洞の門人たちと決起したところに大きな特色があります。そんな大塩は陽明学者として、頼山陽をはじめとする諸国の知識人と「文事」を通じた交友関係を持っていました。津藩の篤学斎藤拙堂もその一人で、書簡のやり取りが残されています。そんな二人の儒学者の交流を前提に、それぞれの「文事」、「政事」への見解、飢饉に対する処方などについてお話します。
方言は、その地域特有のものもありますが、多くは他の地方と重なった分布をしています。方言地図を作ってみると、方言の分布は線を引いたようにくっきりと分かれるのではなくグラデーションのように分布が交じり合いながら語形が移り変わっています。伊勢の言葉は、名古屋を中心とする中京圏と京都・大阪を中心とする関西圏の言葉を結ぶトライアングルの中にあります。 たとえば、理由を表す表現に「から」「もんで」「さかい」がありますが、これら3つの語形はどのような関係にあるのでしょうか。歴史的な背景も考慮に入れながら、今回は、方言の分布ということを考えてみたいと思います。
斎藤拙堂(1797~1865)が、京に住む頼山陽(1780~1832)のもとを訪ねたのは30歳の頃。ここから二人の師友関係は始まりました。以後、山陽没年までの6年余、山陽が手を入れた拙堂の文は三十篇にのぼるとされます。拙堂34歳で刊行された『拙堂文話』に、山陽の序が冠されていることは、二人の詩文を通した関係性を知るに十分な資料です。 今回は、月ヶ瀬が現在も観梅の名所であるその理由の一つ、拙堂の紀行文『月瀬記勝』を中心に、「紀行文」と漢詩についてお話したいと思います。山陽、拙堂など、江戸の文化文政期における旅や食や詩、また、紀行文における「詩文論」ついても分析を試みます。
北海道に想いを馳せる武四郎。ロシアから日本を守るため、調査していく中で、当時のアイヌの人々の疲弊している様子に心を痛め、アイヌの人々が、安心して暮らせる、日本でよかったといえる政治の必要との想いから、武四郎の活動と生きざまについてお話します。
忍者は謎に包まれています。忍者とはどのような人たちで、いつからいつまで存在していたのか、歴史史料に基づいて明らかにしていきます。そして、なぜ伊賀・甲賀忍者が有名になったのか考えていきたいと思います。
松阪出身の木綿商・長谷川治郎兵衛家十一代当主、定矩(一八六八―一九二五)は、雅号を可同と称し、家業のかたわら俳句・日本画・茶の湯など多彩な文化活動を嗜みました。また可同は、餅に関するあらゆる品々を蒐集し、その中には津の餅屋に関するものも含まれています。こうした蒐集品を収蔵・公開するため、自邸内に私設の陳列館「餅舎」を設け、自身のコレクションを展示しました。本講座では、可同の多彩かつユニークな趣味の世界をご紹介します。
主催:湯元榊原舘
連携・協力 道の駅 津かわげ
会場:湯元榊原舘(津市榊原町5970番地)
(安全面への配慮から変更になる場合があります)
定員:100名(先着順)
会費:6回一括 8,500円 (企画調査費等経費を含む)
※6回分の日帰り温泉入浴料を含む(有効期限付き)
締切:令和8年3月31日(火)
連絡先:湯元榊原舘 059-252-0206(担当:前田・藤田)